世界中で管理されているくじら。
日本人とともに残すことはできるのでしょうか。
仙台駅の宮城フェア4/24(日)まで。鮎川港特産の鯨の歯の工芸品、千々松商店さん。ご先祖様は日本一の捕鯨基地鮎川を目指して長崎から引っ越していらしたそうな。今日は自分に小さいご褒美。幸せのお守り*クジラ*鯨*whaling* pic.twitter.com/oIzQQyMxvl
— 宮城のこけし番長 (@hoyafeti) 2016年4月22日
くじらと日本人の生活文化
クジラは大きく分けるとヒゲクジラ類(14種)と、ハクジラ類(70種)のふたつに分類されます。
現在、合わせて84種類に分類されています。
どちらも大きな口が特徴で、「くじら」の語源は定説ではありませんが‐くちひろ‐が変化したという説があります。
古い朝鮮語で「く」「しし」「ら」大きい、ケダモノという言葉がつまって「くじら」となったともいわれています。
先史時代から現在に至るまで、日本人はクジラとともに生きてきました。
日本の長い歴史の中で、捕鯨を通じて信仰が生まれ、また唄や踊り、伝統工芸など多くの捕鯨文化が実を結び、伝承されてきています。
これこそ、日本人がクジラとともに歩んできた歴史の証ではないでしょうか。
今、日本が誇るこの捕鯨の伝統と食文化の大切さを再認識する時代にきています。
日本近海の資源量とくじらの推量の推移
明治時代に入ると、ノルウェー式の捕鯨技術を導入し近代捕鯨が始まります。
独自技術に頼ってきた中世の和式捕鯨からの脱皮は、日本人とクジラとの文化的関わりにも深い断絶をもたらすことになりました。
北太平洋では、近代捕鯨が開始される以前、1900年代はじめのザトウクジラの生息数は10,000頭や15,000頭で、西部北太平洋だけでも2,500頭といわれていました。
しかし、捕獲が禁止になる前年の1965年頃には、この数は1,000頭にまで減っていたと推定されています。
江戸時代以前から捕鯨が行われていたのは、和歌山・高知・九州北部などの地域で、ほかにめぼしい産業のなく、海賊や水軍が盛んだってことも関係しているようです。
鯨油(灯火用または水田の害虫防除用)をとることが中心で、クジラ肉はケダモノ肉と同じであまり好まれなかったようです。
このころの古式捕鯨の最盛期の全国のくじら捕獲数は、年間800頭くらいと推計されていますから明治以降の捕鯨産業の勢いがわかるようです。
まとめ
日本という国は、南北に長く山脈の多い地形で、多種多様な食文化があります。
かつては日本人の貴重なたんぱく源だったクジラ肉。
刺身やベーコンが庶民の味と親しまれ、学校給食でも竜田揚げなどがメニューとして並びました。
食は量さえ足りれば何を食べても変わらないというものではなく、それぞれの生活環境、自然、そして歴史に基づいて発展していき、食文化として続いてきました。
クジラを獲り食べることは、そのような食習慣を有する私たち日本の各地域の人々にとってかけがえのない文化なのです。
「共存共栄」-すぎる-ことのない捕鯨が大事なんでしょう。