「ペリー」と聞くと、「ペリーの来航」と歴史で習った方は多いのではないでしょうか。
では、ペリーはなぜ日本に来たのでしょうか。
大きく分けて、これには理由が二つあります。(このほかにもありますが、大きく分けるとこの二つが来航の目的といえます。)
一つ目が日本との通商条約を結ぶことです。
これは、皆さんも知っていることだと思います。(歴史では、こちらの内容しか習わないかと思います。)
また、もう一つが、捕鯨のための寄港地を設けることだったといわれています。
今回は、通商条約の話は置いておいて、捕鯨(による鯨油)とペリーについて、以下にて説明していきましょう。
鯨油とペリー
アメリカでは、当時(1800年ごろ)、鯨油が大きな産業となっていました。
鯨油には、「ハクジラ」と呼ばれる種類の鯨から取れる「マッコウ油」と、「ヒゲクジラ」と呼ばれる種類の鯨から取れる「ナガス油」があります。
鯨油は、一度火をともすと、持久力があったため、とても貴重な資源とされていました。
(こちらの油に使用されていたものは、マッコウ油の方です。)
そこで、捕鯨が進むにつれて、鯨の数が激減し、アメリカは海を渡り、最終的に日本へと到達したといわれています。
当時、日本には鯨が多くいたため、アメリカにとってはとても都合が良かったといえるでしょう。
ここで一つ豆知識ですが、現在も騒がれている「グリーンピース」はご存知でしょうか。
こちらのグリーンピースは、日本を常に標的としている感が拭えませんが、実際には、日本よりも先に鯨を絶滅の危機に追いやったのはアメリカだということです。
まとめ
ペリーは、通商条約以外にも、こうやって名前を連ねることがあります。
意外でしたか?
とても興味深い関係なので、文献などでさらに調べてみると楽しいかもしれませんね。
まだ、この他にもペリーが行った施策はさまざまあります。
そちらも併せて調べられると、今まで知っていた歴史観が変わってしまうかもしれませんね。